中小企業の経営者と話していると、ときどき、こういう言葉に出会います。
「うちは、私がカリスマではないので」
謙遜として口にされることが多いのですが、その奥には、はっきりした認識があります。会社を速く強く動かしているのは、結局のところ経営者一人の直感と熱量であり、その資質が足りなければ、会社もそこまでだ、という認識です。
私は、この認識の前半は正しく、後半は間違っていると考えています。
多くの中小企業が、経営者個人の直感と熱量で動いているのは事実です。いわゆるカリスマ経営です。速く、強く、しかし、その人がいなければ止まる。今回は、この「カリスマ」という言葉を、社会学と経営学が百年かけて積み上げてきた知見を借りながら、資質の問題から構造の問題へと翻訳する話をします。
ウェーバーは、カリスマを「続かないもの」と定義した
「カリスマ」という言葉を社会科学の概念にしたのは、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーです。死後の1921年から翌年にかけて刊行された『経済と社会』で、ウェーバーは、人が他人の命令に従う根拠、すなわち支配の正当性を三つに分類しました。慣習と伝統に従う伝統的支配、規則と手続きに従う合法的支配、そして、ある個人の非日常的な資質に帰依するカリスマ的支配です。
ここで重要なのは、ウェーバーがカリスマ的支配を、三つの中で最も不安定なものとして描いたことです。カリスマは、規則にも伝統にも依らず、ただその人が特別だという信念だけに支えられています。したがって、その人が成果を出せなくなった瞬間、あるいはその人がいなくなった瞬間に、支配の根拠そのものが消えます。
だからウェーバーは、カリスマ的支配が長く続くためには、必ず一つの過程を通らなければならないと論じました。彼はそれを「カリスマの日常化」と呼びました。一人の人物の非日常的な資質が、後継の規則、役職、手続きへと形を変え、その人がいなくても機能する制度に転化していく過程です。歴史上のどの宗教運動も、どの革命も、創始者の死後に生き残ったものは、例外なくこの過程を通っています。
中小企業のカリスマ経営に、この百年前の分析をそのまま当てはめることができます。経営者の直感と熱量は、ウェーバーの言うカリスマ的支配です。速く、強い。しかし、その人がいなければ止まる。そして、会社が経営者の寿命を超えて続くためには、カリスマの日常化、すなわち一人の資質から組織の構造への転化が、避けて通れないのです。
第6回で書いた「社長が出張で三日いないと、机の上に『どうしましょうか』が山になる」という光景は、日常化がまだ起きていない組織の姿にほかなりません。
カリスマは、資質ではなく、行動として観察できる
ウェーバーは、カリスマを本人の資質として描きました。しかし、その後の経営学は、この見方を一歩進めています。
1977年、組織心理学者のロバート・ハウスは、カリスマ的リーダーシップを、リーダーの内面の資質ではなく、リーダーが取る行動と、それに対する部下の反応として記述する理論を提示しました。さらに1987年、ジェイ・コンガーとラビンドラ・カヌンゴは、カリスマとは部下がリーダーの行動を観察して帰属させるものだと論じました。カリスマは、リーダーの中に宿っている何かではなく、リーダーの特定の行動を見た人々が「この人はカリスマだ」と判断する、その判断の産物だというのです。
この転換が意味することは、大きい。
カリスマが行動から帰属されるものであるならば、その行動は分解でき、記述でき、そして本人以外にも再現できます。資質は分解できませんが、機能は分解できるのです。
カリスマ的な経営者が組織に対して果たしている機能を観察すると、私は五つに分けられると考えています。第一に、何のために戦うのかという目的を、利益を起点として明確に示していること。第二に、どこへ向かうのかという方向を、理念として掲げていること。第三に、何を良しとするかという基準を、数字と結果で判定していること。第四に、リスクを恐れず速度をもって決めるという手段を持っていること。第五に、自分の発信に責任を持ち、責任の所在をはっきりさせるという覚悟を示していること。
この五つを一人の人間が体現しているとき、その人はカリスマと呼ばれます。しかし、五つのどれも、人格ではなく機能です。目的は、全員が利益に貢献するという原則として書けます。方向は、経営理念と経営方針として書けます。基準は、評価項目を数値化し結果で判定する仕組みとして書けます。手段は、役割の間に上下を置かない組織と、言い訳を生産的な思考へ変換する規範として書けます。覚悟は、役割の定義と、役割ごとの手順書として書けます。
書けるものは、組織に実装できます。実装されたものは、経営者が現場にいない日にも、その人が代わった日にも、同じように働きます。ウェーバーの言う日常化とは、経営者にとって、この五つの機能を自分の外側に書き出す作業のことです。
時を告げるのではなく、時計をつくる
この設計思想を、経営学の側から最も明快に言い当てたのは、ジム・コリンズとジェリー・ポラスです。二人は1994年の『ビジョナリー・カンパニー』で、長期にわたって卓越し続けた企業と、比較対象の企業を対にして分析し、通念に反する発見をいくつも報告しました。その一つが、「時を告げるのではなく、時計をつくる」という比喩です。
天才的なリーダーが、正確な時刻を告げる。周囲はその人に頼り、その人がいなくなれば誰も時刻が分からなくなる。これが時を告げる経営です。これに対して、永続した企業の創業者たちは、自分がいなくても時刻が分かるように、時計そのものを組織の中に作っていた。コリンズとポラスは、偉大な企業に必要なのはカリスマ的なリーダーであるという通念を、データによって退けました。
時を告げる経営者と、時計をつくる経営者の違いは、資質の差ではありません。自分の判断を、自分の頭の中に置くか、組織の側に書き出すかという、設計の差です。
判断は、前提を共有すれば分散できる
ここで、第6回で扱ったハーバート・サイモンの議論に戻ります。
サイモンは1947年の『経営行動』で、組織における判断の質は、構成員の能力ではなく、構成員が共有している意思決定の前提によって決まると論じました。優秀な社員を集めても前提が共有されていなければ判断はばらつき、平均的な社員でも前提が明確ならば、経営者と同じ判断に到達できます。
これに先立って、経営者でもあったチェスター・バーナードは、1938年の『経営者の役割』で、組織を一人の英雄が率いるものとしてではなく、人々の協働の体系として描きました。バーナードによれば、命令が権威を持つかどうかを決めるのは、命令を出す側ではなく、受け取る側がそれを受け入れるかどうかです。そして、受け入れられる命令とは、受け手が理解でき、組織の目的と矛盾せず、受け手の利益と両立し、受け手に実行できるものです。
カリスマ経営の命令は、経営者の直感から出るがゆえに、しばしばこの四つの条件を満たしません。理由が語られず、前提が共有されず、社員は理解する代わりに顔色を読む。判断の前提を書き出すという日常化の作業は、バーナードの言う「受け入れられる命令」の条件を、構造として整える作業でもあるのです。
権威勾配と、上下の無い役割
日常化の設計には、もう一つ、見落とされやすい柱があります。役割の間に上下を置かないことです。
航空業界の事故研究は、重大事故の多くが機材の故障ではなく、乗員間の意思疎通の失敗から生じたことを明らかにしてきました。心理学者のロバート・ヘルムライヒは2000年に、英国医学雑誌で、航空業界が積み上げてきた誤りへの対処の教訓を医療に移す論考を発表し、機長への遠慮が異常の報告を妨げる構造を、権威勾配という言葉で説明しています。第7回で扱った高信頼性組織の設計思想と、同じ系譜です。
カリスマ経営は、構造上、権威勾配が急になります。判断がすべて一人に集まる以上、その人へ向かう坂は自然と険しくなるからです。坂が険しい組織では、率直な報告が上がらず、小さな異常が隠され、ミスは致命化してから露呈します。
役割の間に上下を置かない設計は、この坂をなだらかにします。役割は職責の違いであって、序列ではない。この一手で、率直な報告が上がりやすくなり、同時に、もう一つの古い問題も解けます。ローレンス・ピーターとレイモンド・ハルが1969年に『ピーターの法則』で描いた、階層組織では人は無能になる地位まで昇進する、という問題です。序列のための昇進が無い組織では、現場の優秀な人材が、給料を上げるために管理職にならざるを得ないという道を歩まずに済みます。
人に仕事を与えるのではなく、仕事に人を与える
最後に、実務の順序を一つだけ書いておきます。
カリスマの日常化は、人に仕事を与える発想ではなく、仕事に人を与える発想を取ります。まず役割を定義し、役割に職務を割り当て、そこに人を置く。特定の社員にしかこなせない仕事は、その社員の功績としてではなく、構造の上では欠陥として扱い、標準化し、細分化し、複数の社員がこなせる形にします。同じ役割に複数の社員を置くか、一人の社員に二つ以上の役割を覚えさせるかして、欠員に備える。
第3回で書いた人質経営は、この一手で構造から断たれます。そして、第10回で書いた事業承継も、同じ一手の延長線上にあります。野中郁次郎と竹内弘高が1995年に暗黙知から形式知への変換として描いた過程は、ウェーバーの日常化を、知識の側から言い直したものだと私は考えています。経営者の判断軸が組織の構造として書き出されている会社では、承継のときに動かすべき変数が、現経営者という一人の人物だけになるからです。
カリスマは、資質ではなく、構造です。資質であるかぎり、ウェーバーが百年前に見抜いたとおり、それは一人の人間とともに現れ、一人の人間とともに消えます。構造であるならば、それは書き出され、実装され、世代を超えて働きます。
カリスマではない、と仰る経営者へ。あなたに足りないのは資質ではありません。あなたがすでにお持ちの判断を、組織の側へ置き直す設計です。
連載で扱っていくこと
第13回の今回は、カリスマを資質の問題から構造の問題へと翻訳しました。
ウェーバーが百年前に、カリスマ的支配を最も不安定な支配と定義し、それが続くためには規則と役職への「日常化」を通らなければならないと論じたこと。ハウス、コンガーとカヌンゴの研究が、カリスマを内面の資質ではなく観察できる行動と、それに対する周囲の帰属として描き直したこと。したがって、カリスマ的な経営者が果たしている機能は分解でき、書き出せ、本人以外にも再現できること。コリンズとポラスが、永続する企業の創業者は時を告げるのではなく時計をつくっていたと報告したこと。サイモンとバーナードの議論が、判断の前提を共有すれば判断は一人に集中せずに済むことを示していること。ヘルムライヒの航空安全研究とピーターの法則が、役割の間に上下を置かない設計の根拠になること。そして、人に仕事を与えるのではなく仕事に人を与える順序が、人質経営と事業承継の問題を同じ一手で解くこと。
これらは、経営者一人の資質に依存しない組織を設計するための、基礎にあたる考え方です。
次回は、この構造の設計を、経営者が自らの手で進めるときの実務の順序を扱う予定です。役割を定義し、判断の基準を書き出し、それを日々の手順に落とすまでの工程を、これまでの連載で示してきた原理の順に並べ直します。
人事は、感情ではなく、科学です。
私自身、経営者一人の資質に依存しない組織の設計の最適化に日々向き合っており、思考は今も更新され続けています。引き続きお付き合いいただければ幸いです。