事務所案内|山田社会保険労務士事務所
人事制度の構築を専門とする社会保険労務士事務所山田社会保険労務士事務所
0259-58-9350平日9時から17時まで

事務所案内

事務所案内

代表 山田義徳
名称山田社会保険労務士事務所
代表者山田義徳(社会保険労務士)
所在地新潟県佐渡市新穂瓜生屋648
電話番号0259-58-9350
受付時間平日9時から17時まで
メールアドレスshroushi-yamada52@ninus.ocn.ne.jp
業務内容人事制度の構築(新規のご依頼は人事制度の構築のみ承ります)

代表挨拶

第一部 この制度が生まれるまで

一 私が、組織のいちばん下から見始めた理由

人事制度について論じる前に、私がどこからこれを見てきたのかを、先に書いておきます。

私は、五十を超える職業を、指示を受ける側として渡り歩いてきました。タクシーの運転席、自動車工場の製造ライン、飲食店の厨房。どれも経営を語る場所ではありません。決められた時刻に入り、決められた仕事をして帰る、組織のいちばん下の層です。

望んでその位置に立ったわけではありませんでした。

学生の頃、私は留学を志していました。学費と渡航の費用を作るために働き、貯めた金は、当時勤めていた先の経営者に預けて管理してもらっていました。疑う理由はなく、そうすることが自然に思える関係でもあったからです。

その金は、私の手には戻りませんでした。

留学は諦めるほかなく、学業を続けることもできなくなりました。何が起きたのかを詳しく書くつもりはありませんが、そのときの私にとって、それは計画の変更ではなく、将来の設計そのものが失われた出来事でした。しばらくのあいだ、私は何も考えられませんでした。

そこから、五十を超える職場を渡り歩く年月が始まります。

経営書が論じているのは組織をどう動かすかという問いであり、組織の下から見えるのは、動かされる側の身に実際に何が起きているかという事実です。この二つは同じ会社をめぐる話でありながら、驚くほど交わりません。これから書くのは、その交点を作ろうとした記録です。

二 教科書は、一冊の白紙だった

ある現場に、派遣社員として入ったときのことです。初日に手渡されたのは、白紙の帳面でした。

先輩の手つきを見て、自分で書き取り、それを自分のマニュアルにしなさい。それが、その現場の教育のすべてでした。手順書はありませんでしたし、何を、どの順序で、どこまでやれば正しいのかを、誰も紙に落としてはいませんでした。書かれていないものを目で盗み、自分の字で写し取る。それができて初めて、一人前だと認められます。

私は言われたとおりにして帳面を埋め、仕事も覚えました。

けれども、あの帳面は私一人のものです。隣の席の人の帳面とは中身が違い、次に入る人の手には渡りません。私が辞めれば、帳面ごと会社から消えます。書き写す先が、組織ではなく個人だったからです。仕事が個人に貼りついて、その人がいなければ回らなくなる状態を、人事の世界では属人化と呼びます。あの帳面は、属人化を新人自身の手で作らせる仕組みでした。

会社は教育をしたつもりでいますし、教わった側も、教わったつもりでいます。そして現に、現場は回っています。それにもかかわらず、組織の側には何ひとつ積み上がっていません。同じことを覚えるために次の人がまた同じ日数を使い、二人目も三人目も、一人目とまったく同じ地点から始めることになるからです。

私が最初に立ち止まったのは、この一点でした。手順を書き起こすために必要な時間は、一度きりのものです。書かずに済ませるために支払われる時間は、人が入れ替わるたびに、際限なく請求され続けます。

三 そこには、責めるべき人が一人もいなかった

誤解を避けるために、書き添えておきます。悪意を持っていた人は、一人もいませんでした。

先輩は、自分がそうやって覚えたことを、同じやり方で次へ手渡しただけです。責任者は、限られた人数で現場を回すために、いちばん確実だと信じている方法を選んだだけです。世間もまた、この教育を疑ってはおらず、見て覚えるのが仕事だという言い方は、いまでも褒め言葉として使われています。

つまりこれは、誰かの怠慢ではないのです。あの現場では、それが正しい教え方でした。

責めるべき相手が存在しない。ここが、この問題のいちばん厄介なところです。悪い人がいるのであれば、その人を除けば済みます。構造は、除くことができません。

四 同じ現場が、出資する側の目には別のものに見える

同じ現場でも、立つ位置を移すと、まるで違うものが見えてきます。

本社の側、あるいは会社に資本を投じた側から眺めたとき、その現場には書かれた手順が一つも存在しません。品質を誰がどうやって保証しているのかが分からない。新人がいつ戦力になるのかも分からない。誰かが辞めたときに何が失われるのかも分からない。

分からないというのは、確かめる手段を持たないということです。

経営者はその現場に、自分の金を投じています。設備を買い、人を雇い、毎月の給与を払っているにもかかわらず、その金が何に姿を変えたのかを外から確かめる手立てを持っていません。現場の中身は社員一人ひとりの頭の中にしまわれていて、開いて見ることができないからです。

これは社員が隠しているのではなく、頭の中にしまう以外に置き場がないように、組織のほうがそう作られていたのです。書き留める場所を用意していない会社で、書かれていないことを責めても、何ひとつ変わりません。

下から見ていた頃、私はこれを覚えにくい教え方だとしか思っていませんでしたが、経営の側に身を置いてみて、事の性質がまるで違うことに気づきました。一つの同じ出来事が、下からは煩わしさとして映り、上からは会社の中身が見えないという、はるかに重い問題として映るからです。同じ光景が、立つ位置によって別の名前を持つのです。

労使の双方を経験して、ようやくこれが見えました。私が人事制度を、精神の問題ではなく構造の問題として扱うようになったのは、この一点を境にしてです。

五 なぜ、同じ形が何度も現れるのか

一つの現場に限られた偶然だったなら、ここまでのことにはなりませんでした。職場を移し、業種を変えても、同じ形が繰り返し現れます。

ある製造の現場では、多額の費用をかけて導入した検査の設備が、ほとんど使われないまま据え置かれていました。設備が劣っていたのではなく、誰が、どの場面で、どの数値を見て使うのかが、どこにも書かれていなかったからです。書かれていないものは、忙しい日から順に省かれます。省いても誰も困らないので、やがて手作業のほうが正しい手順として定着していきます。

ある飲食の現場では、店の回り方が、その時々に現場を仕切っている人の癖で決まっていました。その人が休んだ日は、同じ人数がそろっていても店が回りませんでした。仕事が役割にではなく、人に貼りついていたからです。

さらには、会社の中の役職よりも、その土地の中の序列のほうが強く働く場所も見てきました。誰の紹介で入ったか、どの家の人か。それが職務上の指示に先立って働き、組織図に引かれた線と、実際に指示の通る線とが、別々に引かれている状態になります。

業種も規模も違うにもかかわらず、壊れ方は同じでした。書かれていないものが判断を左右し、その根拠を外から誰も確かめられないからです。

事例が積み重なるにつれて、私の見方は移っていきました。初めは運の悪い職場に当たったのだと考え、次にはそういう業界なのだと考えるようになり、最後に、これは職場の性質でも業界の性質でもなく、書かない状態を放置したときに必ず現れる形なのだと考えるようになりました。同じ条件を置けば、誰が経営していても同じものが現れます。

私が敵だと考えているのは、社員でも管理職でもありません。この、書かれないまま人に貼りついていく仕事のやり方そのものです。

六 なぜ、経営者は自分の会社の中で孤立するのか

もう一つ、繰り返し目にしてきた形があります。経営者が、自分の会社の内側で孤立していく形です。

多くの場合、発端は善意にあります。経営者は信頼できる人物を、紹介によって幹部に迎えます。人柄も分かっているし、現場の事情も心得ているので、任せられると判断します。

ところがその幹部は、現場に入った日から毎日、現場の側と顔を合わせることになり、困っている社員の声はその人のところに集まります。経営者と向き合うのは、週に一度、あるいは月に一度です。どちらの言い分に触れる時間が長いかは、論じるまでもありません。

やがてその幹部は、経営者の意思を現場へ運ぶ人ではなく、現場の要求を経営者へ取り次ぐ人に変わっていきます。悪意ではありません。近くにいる側の事情のほうがよく見える、というだけのことです。

こうなると、経営者は自分の会社の内部で、意思を届ける相手を失います。指示は幹部のところで滞り、届いたかどうかも確かめられない。強く言えば、その幹部に辞められる。辞められれば現場が回らない。だから、言えなくなります。私はこの状態を、人質経営と呼んでいます。

経営者が孤立するのは、性格の問題ではありません。意思の通る経路が、途中で一人の人間の判断に預けられているからです。つまり、経路の設計の問題です。

そして、この幹部の側も、決して楽ではありません。双方から相反することを言われ、どちらにも顔を立てながら、自分の裁量で線を引き続けなければならないからです。経営者が孤立するとき、たいていその手前で、幹部もまた孤立しています。どちらか一方が悪いのではなく、二人のあいだに、判断の根拠を置く場所が用意されていないだけのことです。

七 だから、私はこれを作りました

私が作ろうとしたものは、三つの言い方で説明することができます。

第一に、曖昧さを消すことです。形容詞と副詞を使わず、数値と、やったかやらなかったかで判定できる形に書き改める。丁寧に、早めに、しっかりと。この種の言葉は、書いた人と読んだ人とで別の意味を結びます。別の意味を結ぶ言葉は、後になって必ず、言った言わないの争いを生みます。

第二に、仕事を人ではなく役割に置くことです。人に貼りつければ、その人が辞めた日に仕事も一緒に消えてしまいますが、役割に置いておけば、人が替わっても仕事は残ります。

第三に、経営者の判断を、経路によってではなく構造によって届けることです。誰か一人の解釈を経ずに、判断の基準そのものを、現場が読める形で置いておきます。

この三つを紙で配ることは、以前から行っていました。紙は正しく作ることができますが、更新されません。配った翌月には、机の引き出しの中で古びていきます。最初の制度を形にしてから二年をかけて、私はこれを一つのアプリケーションに仕立てました。開発そのものには二か月かかっています。それが、超カリスマ人事制度クラウドです。

第二部 経験から導かれた設計の思想

八 カリスマは、生まれつきの才能ではなく、五つの原則です

カリスマ経営という言葉があります。際立って優れた経営者が一人いて、その人の熱量によって会社が動く。この形で、多くの中小企業が現に成り立っています。

私はこれを否定しません。ただ一点、困ったことがあります。カリスマは天から授かるものだと思われているため、授からなかった人は諦めるほかない、という結論に落ち着いてしまうことです。

私は、そこを疑いました。カリスマと呼ばれる人物が実際に何をしているのかを分解していくと、その中身は五つの原則に整理することができるからです。この制度では、それを「カリスマの五原則」と呼んでいます。

一、利益の最大化を全ての起点とする。
二、組織の指針となる明確なビジョンを持つ。
三、現実的かつ客観的な評価を重視する。
四、リスクを恐れず、圧倒的な速度で行動する。
五、自分に自信を持ち、自己の発信に責任を持つ。

この五つは、気質ではありません。原則です。原則であるならば、人の資質に頼ることなく、組織の側へ実装することができますから、生まれつきを待つ必要はどこにもないのです。

九 五つの原則を、人格ではなく構造に置く

五つの原則を、この制度は次のように会社の仕組みへ移し替えています。

第一の原則は、全社員が利益の最大化に責任を負い、全社員がマーケティングに関わるという形になりました。間接部門であっても、利益への貢献を役割の定義に明記します。

第二の原則は、経営理念と経営方針になりました。この制度で、経営者にしか書けない場所は経営理念です。ほかの項目は選ぶことができますが、ここだけは選べません。会社の向かう方角を決めるのは、経営者だからです。

第三の原則は、数値化と、結果によって評価する仕組みになりました。形容詞と副詞を排し、やったかやらなかったかで判定できる水準まで職務を分解することで、上司の主観が入り込む余地を、設計の段階で削っています。

第四の原則は、階層を平らにすることと、言い訳を生産的な言葉へ変換する仕組みになりました。判断が上へ遡っていく段数が減れば、その分だけ組織は速く動きます。

第五の原則は、制度そのものと、それを動かす指令書になりました。経営者の発信が、他人の解釈を経ずに現場へ届くための経路です。

この設計の思想がいちばんはっきり現れている箇所を、一つだけ挙げます。この制度には、現場で判断に迷ったときの絶対的な序列があります。第一に人命と安全、第二に利益とコスト、第三に顧客の満足。そして第四に上司の機嫌と体面が置かれ、そこには「完全に無視してよい。組織としての最下層の判断材料である」と書かれています。

この第四項だけは、どの会社でも書き換えられない設計にしました。理由があります。私はかつて、上司の顔色が判断の材料になる組織の中で、幼い頃から親しんだ友人を失いました。だから、ここは譲らないと決めたのです。同情を求めて書いているのではありません。譲らないと決めた一点を、はっきりさせておきたいだけです。

十 この制度が冷たく見えることについて

ここまで読んで、冷たい制度だと思われた方もいるかもしれません。

その印象は、正しいと思います。この制度は人の善意を当てにしておらず、やる気にも、忠誠心にも、上司との相性にも依拠しない設計になっています。

ただ、その冷たさの向きだけは、取り違えられないように書いておきたいと思います。

曖昧なまま放置された職場は、優しい職場ではありません。基準の書かれていない会社では評価が上司の印象で決まり、手順の書かれていない会社では失敗が個人の不注意にされます。誰かが辞められない状態というのは、その人が会社に必要とされている状態ではなく、その人が会社に縛られている状態です。

書くという作業は、人を縛るために行うのではありません。人に貼りついた責任を、組織の側へ引き取るために行うのです。引き取って初めて、経営者は自分の意思を現場へ届けられるようになり、社員は上司の顔色を気にせずに働けるようになります。

私がこの制度に求めているのは、大切なものを誰かの善意に預けたままにしなくてよい構造です。あの日に手渡された一冊の白紙は、いまも私の出発点です。あれを一人の頭の中にではなく、組織の側に置き直すこと。長い年月をかけて私が考えてきたのは、突き詰めれば、その一事に尽きます。

山田社会保険労務士事務所 代表 山田義徳。早稲田大学教育学部教育学科に学びました。留学を志していましたが、その資金を失って学業を続けることができなくなり、その後、五十を超える職業を、指示を受ける側として経験しています。総務および営業、そして社会保険労務士として、あわせて十八年にわたり人事と労務の実務に携わってきました。四年前、故郷である佐渡に事務所を開いています。現在、新規に受けているのは人事制度の構築だけです。従来からお付き合いのある顧問先については、これまで通りすべての業務を担当しています。助成金や手続きの業務は、生きていくための手段として行ってきたもので、私が本当に志していたのは、初めから人事制度でした。社会保険労務士になったのも、そのためです。この制度を、私は自分の人生の集大成だと考えています。

当事務所が作る人事制度を、実際に一社ぶん組み上げた画面を、完成見本としてご覧になれます。ご相談は、メールでお受けしています。

完成見本にログインは要りません。