組織の中でミスが起きたとき、最初に発される問いは、ほぼ決まっています。
「誰がやったのか」
担当者が特定され、注意や指導が行われ、再発防止の誓約が交わされる。会議では「気をつける」「徹底する」「意識を高める」という言葉が並びます。そして数か月後、別の担当者が、同じ種類のミスを繰り返します。
このループは、多くの中小企業で常態化しています。注意しているのに、徹底しているのに、意識を高めているのに、ミスは減らない。経営者は社員の不注意さに苛立ち、社員は萎縮し、組織は緊張を高めながらも、トラブルの発生率は変わりません。
これは、ミスを個人の問題として扱う限り、構造的に避けられない結果です。
ミスは個人の不注意から生まれているように見えます。しかし、その不注意が発生し、表面化し、被害につながるまでの過程には、必ず複数の構造的要因が介在しています。航空業界や医療現場では、半世紀以上にわたる事故研究を通じて、この事実が確立されています。
第7回の今回は、ミスを個人ではなく構造の問題として扱う設計の話をします。
スイスチーズモデル — なぜ事故は起きるのか
イギリスの心理学者ジェームズ・リーズンは、1990年の著作『ヒューマンエラー』で、組織事故の構造を「スイスチーズモデル」として説明しました。
彼の主張は、こうです。組織には、ミスを防ぐための防護壁が複数存在しています。手順書、チェック体制、上司の確認、システムによる自動検知、最終的なアウトプット段階での品質確認。これらはどれも完璧ではなく、それぞれに穴が開いている。スイスチーズの一枚一枚に、不規則な穴が空いているのと同じです。
平常時、ある防護壁の穴を、別の防護壁が塞ぐ。チーズを何枚も重ねれば、光は向こう側に届かないように、ミスは事故にまで至りません。
しかし、複数の防護壁の穴が、たまたま一直線に並ぶ瞬間がある。そのときミスは、すべての壁を貫通し、事故として表面化します。
この瞬間の最後の壁を担当していた人が、責められます。「あなたが見落としたから、事故になった」と。しかし、そのミスを生んだのは、その人の不注意だけではありません。手順書が曖昧だったこと、確認の仕組みが形骸化していたこと、システムが警告を出さなかったこと、人員配置が薄かったこと——複数の壁の穴が、同時に開いていたから、貫通したのです。
ミスを個人の不注意として処理する組織は、最後の壁の人を交換するか、注意を強化することしかできません。しかし、他の壁の穴は残っています。次は別の人が、同じ場所を貫通させます。
ミスを構造の問題として処理する組織は、すべての壁の穴の位置を確認し、どの穴を塞ぐかを設計します。最後の壁の人を責めることはしません。なぜなら、その人を交換しても、構造が同じなら、ミスは続くからです。
高信頼性組織という概念
この考え方を、組織設計の理論として体系化したのが、組織心理学者カール・ワイクとキャスリーン・サトクリフです。
二人は2001年の著作『Managing the Unexpected(予期せぬ出来事のマネジメント)』で、原子力発電所、航空管制、空母、消防、医療救急といった、ミスが致命的な結果を生む現場の組織を研究しました。これらの組織は、過酷な条件下で運営されているにもかかわらず、事故率が驚くほど低い。なぜ、そうなれるのか。
彼らはその答えを、組織の運用原理に見出しました。これらを「高信頼性組織(High Reliability Organizations、HRO)」と呼びます。
高信頼性組織は、ミスを起こさないように設計されてはいません。人間が関わる以上、ミスはゼロにできないことを前提にしています。彼らが設計しているのは、ミスが発生しても、それが致命的な事故に至らないための構造です。
ワイクとサトクリフは、高信頼性組織に共通する五つの特性を抽出しました。失敗にこだわる(小さな兆候を見逃さない)、単純化を拒む(問題を簡単に片付けない)、現場の感度を尊重する(机上の判断より現場の異変を信じる)、回復力を高める(完璧な防止より素早い復旧を重視する)、専門性に従う(役職ではなく知識のある人の判断を採用する)。
このうち、中小企業の人事制度設計に直結するのは、最初の二つです。失敗にこだわること、そして単純化を拒むこと。
「気をつける」は単純化である
「気をつけます」という言葉は、組織にとって最も危険な単純化の一つです。
ミスが起きたとき、原因究明を「不注意でした、気をつけます」で終わらせると、組織は次の三つの情報をすべて失います。
一つ目は、なぜそのミスが今発生したのかという固有の文脈。二つ目は、それを防げなかった既存の仕組みの欠陥。三つ目は、同じ構造で起きうる将来のミスのパターン。
これらの情報は、その時にしか取れません。時間が経てば、当事者の記憶は曖昧になり、痕跡は消え、再発防止のためのデータは永久に失われます。
「気をつけます」で終わらせる組織は、毎回ゼロから同じ種類のミスに遭遇し、毎回ゼロから同じような注意指導を行い、毎回ゼロから同じような再発を経験します。組織として学習しないのです。
高信頼性組織は、ここで真逆の動きをします。小さな失敗を、データとして必ず残す。そのデータを、定期的に組織全体で見直す。穴が空いている壁の場所を特定し、塞ぐ設計を考える。これを徹底的に繰り返します。
中小企業でこれを実装する手段は、決して特別なものではありません。日々の業務終了時に、その日に発生した小さなトラブルや想定外の事象を、データとして残す。フォーマットは決めておく。何が起きたか、いつ気づいたか、どう対応したか、根本原因はどこにあると思うか。これだけです。
このデータは、月次や四半期のタイミングで集約され、構造のどこに穴が空いているかを判断する材料になります。手順書のどこを書き直すか、確認のステップをどこに追加するか、誰の業務量を見直すか。判断の根拠が、印象や記憶ではなく、蓄積された記録になる。これが、ミスを構造の問題として扱うための最初の実装です。
ミスを責めない、を仕組みで成立させる
ここで一つ、避けて通れない論点があります。ミスを構造の問題として扱うためには、ミスを犯した個人を責めない、という運用が必要だという点です。
責められる組織では、誰もミスを正直に報告しません。報告すれば、注意指導の対象になり、人事評価に響き、場合によっては降格や減給に至る。であれば、隠す。隠せる程度のミスは隠し、隠せないミスだけが、事故化してから露呈する。組織は小さな失敗のデータを失い、大きな事故だけを見せられることになります。
これは「優しさ」の問題ではなく、設計の問題です。
航空業界には、ヒヤリハット報告制度という仕組みがあります。事故には至らなかった想定外の出来事を、パイロットや管制官が自発的に報告する制度で、報告内容は懲戒の対象にしないことが明文化されています。報告した本人は守られる。代わりに、組織は穴の位置を特定するための膨大なデータを得ます。
中小企業でも、これは実装できます。終業時のレポートに、その日の小さなトラブルやヒヤリハットを書く欄を設ける。書いた内容は、評価の悪材料として扱わない。むしろ、書いてくれたこと自体を評価する。
この設計の難所は、経営者の感情の制御です。報告を読んだ瞬間、「なぜこんなことが起きたんだ」と社員に詰めたくなる。詰めれば、次から報告は来なくなる。組織はミスのデータを失い、構造の改善は止まる。
ミスを責めないという運用は、経営者の温情ではなく、組織の情報循環を維持するための装置です。優しさではなく、設計です。
構造の問題に翻訳するという習慣
最後に、もう一段抽象化します。
ミスが起きたとき、組織が問うべき質問は、「誰がやったのか」ではありません。
正しい質問は、「この事象を可能にした構造は何か」です。
担当者の判断ミスがあったとして、なぜそのミスを止める仕組みがなかったのか。手順書が曖昧だったとして、なぜ曖昧なまま運用され続けていたのか。確認のステップが飛ばされていたとして、なぜ飛ばせる構造になっていたのか。問いを構造に向け続けることで、組織は穴を塞ぐ設計に到達できます。
この問い方の習慣は、一朝一夕では身につきません。経営者がまず自分自身に課す必要があります。ミスを見たとき、最初に出てくる感情は、ほぼ確実に「誰がやったんだ」です。これを抑え、「この構造のどこに穴があったか」へ翻訳する。この翻訳を、経営者が繰り返し行う姿を見せ続けることで、組織にこの問い方が浸透していきます。
ミスは個人の不注意から生まれているように見えます。しかし、それを致命的な事故にするか、軽微な学習機会にするかを決めているのは、組織の構造です。
人事制度の設計とは、組織がミスから学習し続けるための情報循環を、仕組みとして埋め込む作業でもあります。注意指導の頻度を上げることでも、社員の意識を高めることでもありません。
連載で扱っていくこと
第7回の今回は、ミスとトラブルを構造の問題として扱う設計を扱いました。
ミスを個人の不注意に帰着させる組織と、構造の問題として扱う組織では、長期的なトラブル発生率が大きく異なること。リーズンのスイスチーズモデルが、事故は単一の原因ではなく複数の防護壁の穴の同時開放によって起きることを示していること。ワイクとサトクリフの高信頼性組織研究が、ミスを起こさない設計ではなくミスが致命化しない設計の重要性を提示していること。「気をつけます」という単純化が、組織の学習機能を破壊すること。ミスを責めない運用は優しさではなく組織の情報循環を維持するための設計であること。そして、経営者が「誰がやったのか」を「どの構造が可能にしたのか」へ翻訳し続けることが、組織にこの問い方を浸透させる起点であること。
これらは、トラブルが起きるたびに振り出しに戻る組織を、学習し続ける組織に変えるための、構造設計の基礎です。
次回(第8回)は、採用の入口設計を扱います。なぜ多くの中小企業の採用基準は言語化されず、「会ってみて決める」という属人的な判断に依存し続けるのか。採用基準の構造化と、入社後の評価制度との連動を、組織心理学と人材経済学の視点から解き明かします。
人事は、感情ではなく、科学です。
私自身、ミスを構造の問題として扱う組織設計の最適化に日々向き合っており、思考は今も更新され続けています。引き続きお付き合いいただければ幸いです。